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生まれながらのバットマン風雲録
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次男が所属する少年野球チームで去年までコーチをしてくれていた方が亡くなられました。
御年80だったと思います。

私らとは親子ほど年齢が違いましたが偉ぶったところが全くなく、子供たちに対しても分け隔てなく可愛がってくれ、皆に愛される方でした。

孫がうちの長男とチームメイトで、下級生のときからよく練習の手伝いに来てくれていました。
平日も来てくれて、指導者がいないときなどはお目付け役として練習を見てもらうなどしていましたので、勝手使いするのでなく、それなりの立場に就いてもらうのが妥当と考え、私がトップチームのコーチになったときに監督にスコアラーとしてベンチに入ってもらおうと進言したのが、このチームのコーチになるそもそもの始まりでした。

練習においては、ノックの球出しとか、ときにはバッピまでやってくれてました。
試合においては、スコアラーとしてベンチに入り、私はいつも彼の横に座って投手の球数や前の打席の結果などを聞きながら、監督に進言したり選手に指示を出していました。

熱血漢で、選手がヘマこいたときとか、私ら以上に怒るんですよ。
顔を真っ赤にして怒ってるのを「まあまあ、落ち着いて・・・」ってよく宥めたもんです(笑)

でも、練習では私が宥められる方で、私は試合では選手を叱ることはまずしないのですが、練習では長男をチームを引き締めるために敢えて鬼のように叱ってたんですが、「そんな叱らんでください」って何度言われたことか。

私的には、低迷してたチームを一緒に鍛え上げ常勝チームに育て上げた同志みたいな感覚があります。親子ほどの年齢差があるので、失礼かもしれませんけれども。

その後、私はチームを去り、一緒にやることもなくなってしまったのですが、その後コーチになられたらしく。


次男とは、それこそよちよち歩きの頃からの顔見知りで、長男にくっついてグラウンドに来る次男をよく遊んでくれたもんです。
小学生に上がってからは家が近所なんで、

「けんと、まだ入らんと?」

って、下校する次男によく声をかけてもらってました。

私は次男が野球チームに入りたいって言ってきたとしても、今のチームに入れるつもりはなく、別のところを考えていたのですが、何度も勧誘してくれましたんでやむを得ず入部を許可するに至りました。

入部してからも、よくかわいがってもらっていました。
次男がいまあるのは、偏に彼のおかげといっても過言ではありません。

私は殆どグラウンドに行くことはなく、練習も一度も見たことはないのですが、試合前に彼がノックしてる姿を見て驚愕。

誰よりも上手いノックしてる!

私がいたころは、バットに当てるのが精いっぱいな感じだったんですけれどもね。
相当努力されたのでしょう。凄くいい球打たれてました。

最近は、以前私がコーチしてた時のようにお話することはあまりなかったのですが、相変わらずお元気そうで内心喜んでいたところでした。

それがこのようなことになって、残念でしかありません。
でもしかし、今日の通夜においては沢山の人が弔問し、多くの涙を見ました。
次男も号泣してたそうです。

通夜でこんなに多くの涙を見ることは、少なくとも私の人生で一度もなかった。
惜しまれながら去ってゆく人って、どんだけいることでしょうか。
もったいない人を亡くしましたが、非常にうらやましい最期だと思います。

会者定離と言います。
私も母を亡くして別れというものを教えられたのですが、次男は彼にそれを教えてもらいました。
最後まで、本当にありがとうございました。

合掌



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けんと
性別:
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職業:
次男
趣味:
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自己紹介:
けんと
4人兄弟の末っ子で甘えん坊の暴れん坊
兄の影響で野球大好きになり、朝から晩まで野球の幼児期を過ごす。
小学校入学後は漫画「ハイキュー」や「黒子のバスケ」に影響され野球への関心が薄れるも、同級生に勧誘され小3の2016年5月、ついに野球の道へ足を踏み入れる。
始めて1年足らずで4年生ながらセカンドでレギュラー格に抜擢され、5年生時はサード、6年生時はショートでチームを支える。6年生時は年間打率.371、本塁打13本、打点78を記録した。
中学は、学童のチームメイトと袂を分かち、週末は硬式野球チーム・平日は陸上部という二刀流に挑戦。
入団早々レギュラーを獲得し、1年生ながら5番サードに定着。中学3年ではキャプテンに指名され、野球人生で初めてチームを牽引。九州代表にも選出される。
陸上では100mと投擲(砲丸投げ)を主とし、新人戦では投擲で自己ベストを更新し県大会出場を果たし、3年生の中体連では区大会優勝。
高校は愛知の私立高校に野球留学。入学1週間でベンチ入りし決勝犠飛。結果を残して背番号12で夏大のベンチ入りをし、2回戦では4番デビューを果たす。

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