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生まれながらのバットマン風雲録
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まるでネットニュースのタイトルみたいですが。


次男の投げ方が悪いのは、度々ここに書いてきたと思うんですが、正直、諦めていました。



腕の使い方はもう治らないなと。

形というのはクセなので、そう簡単には治りません。
悪い癖は、簡単に染み付いてしまう。
良い癖は、ちょっとしたことで簡単に失われる。

技術ごとって、そんなもんですよね。

間違った練習をすると、どんどん負を強化することになります。

次男の場合、負を強化しまくった結果、肘を壊し膝を壊し、しまいにゃ肩まで壊してしまった。
あのねぇ・・・って感じです。

(未だに正座できないんですよ。マジで。)


そんな状態で中学に上がるわけですが、故障で完全に潰れてしまう可能性が結構あるなぁって見ていました。一応、手は打っていましたけれども。

(週末だけのチームを探したのも、そういう部分があります。平日も練習すると、確実にぶっ壊れる。ですから、平日もやるチームを見るときは、キャッチボールだけはしっかり見ました。在部生が理にかなった投げ方をしているところを探しましたが)


そんなところにコロナ禍。そして骨折。

約1ヵ月間、全く投げる動作をしませんでした。
右手は生きているので、投げさせるという手もありましたが、完全に封印して、いったん投げ方を忘れさせました。


そして、ギプスが取れて一から投げ方を教えました。

長男のときは、野球を始めた最初から投げ方を教えたんですが、次男は投げ方については最初は全く手をつけませんでした。
自分が教えちゃうと、自分が教えたかたちにしかならないので、他人が教えたらどうなるか見たかったのです。

変な風になっても、まぁ、どうにかなるだろうと甘く考えてたんですが、自分が中学生を教えていたとき、少年野球でついた変な癖が全然抜けないという苦い経験を何度もしているというのにねぇ・・・。

結果、まぁね・・・ちょっとアレでした。次男にはフィットしなかったみたい。
途中で何度か矯正を試みはしましたが、多少は良くなっても、すぐに地がでてゼロになるという。

投げ方を治すときの障壁となるのは、長い距離を投げることです。
より遠くへ投げることに意識が行ってしまって、地の投げ方が出てしまうんです。

今回幸いだったのは、外出ができなかったことです。
だから、友達と遊んで投げるなんてこともできませんでした。
これは大きかったかもしれない。

ですから、目の前のネットに向かって投げる毎日。
これだとコントロールも飛距離も気にせず、投げ方だけに意識が行く。
(メニューはビデオにアップしてます)

私的には、別人になったと思ってます。

ビデオでは、リリース時に手首が立ってるところを挙げてますが、あれは「手首を立てろ」と言って立つものではなく、それまでの動きの結果なのです。

投げ方を見てますと、自分が教えた投手だなぁって、ちょっと面白くないところがあるのですが・・・。(投手でない人間が投手を教えると、無難な感じになりがち)

まだまだ課題は多いですが、基礎はできたかなと思います。


今回、思わぬ形で試合で放ることになり、驚きしかありませんでしたけれども、これまた思わぬ形で成果を見ることができたのは、とても大きな収穫でした。


将来を危ぶむハンデを背負った小学生時代でしたけれども、コロナ禍のステイホームに救われました。

まだオスグットという、厄介なハンデがそのままなんですけれども、これもなんとかやっつけて前に進みたいと思う今日この頃です。



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けんと
性別:
男性
職業:
次男
趣味:
野球
自己紹介:
けんと
4人兄弟の末っ子で甘えん坊の暴れん坊
兄の影響で野球大好きになり、朝から晩まで野球の幼児期を過ごす。
小学校入学後は漫画「ハイキュー」や「黒子のバスケ」に影響され野球への関心が薄れるも、同級生に勧誘され小3の2016年5月、ついに野球の道へ足を踏み入れる。
始めて1年足らずで4年生ながらセカンドでレギュラー格に抜擢され、5年生時はサード、6年生時はショートでチームを支える。6年生時は年間打率.371、本塁打13本、打点78を記録した。
中学は、学童のチームメイトと袂を分かち、週末は硬式野球チーム・平日は陸上部という二刀流に挑戦。
入団早々レギュラーを獲得し、1年生ながら5番サードに定着。中学3年ではキャプテンに指名され、野球人生で初めてチームを牽引。九州代表にも選出される。
陸上では100mと投擲(砲丸投げ)を主とし、新人戦では投擲で自己ベストを更新し県大会出場を果たし、3年生の中体連では区大会優勝。
高校は愛知の私立高校に野球留学。入学1週間でベンチ入りし決勝犠飛。結果を残して背番号12で夏大のベンチ入りをし、2回戦では4番デビューを果たす。

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